我々が若かった40年前のことを話そう.

中原(34E)
2000.3.15

還暦を前に、ついついリストラで、毎日が日曜日になってしまった。そこで、まず身辺整理から始めた.。と云っても、失業者も忙しいものである。かれこれ八ヶ月になるが、これでもなにかと相談事が持ち込まれ、時間が取れず整理はまだまだ終わってはいない。いままでに、済んだことといえば……。済んだわけではなく、出して、眺めて、また閉っただけである。「居間に」までケースが、入ってきて、女房に怒られたダケ。情けない。「今も」狭くて,不自由している。

そうした中で、ワンゲル関係の資料が、次の通り出てきた。

  1. 白鷺 8期、10期、14期、26期、31期、32期、35期、36期、37期 39期、40期、計11冊。
    是以外もっとあるのかな?当事者は大切に頼ム
  2. 早春期合宿冊子'62(昭和37年),3,6南九州ワンデリング(第四期坂村部長)
  3. 春季合宿冊子 '62,4,25 ワンデラー基礎技術(第三期吉田部長編)
  4. 部報 第一号 昭和39,1 (第五期木村部長、故平井編集長)
  5. 部報 第二号 昭和39春季合宿 辺境の地 つしま (第六期故宮崎部長)
  6. 部報 第5号木枯らし(第七期大石部長、青森編集長)、
  7. 春合宿号冊子 1966(昭和41年),3 韓国、奄美諸島遠征 (第八期関部長)
  8. ワンゲル十周年記念 台湾遠征冊子 昭和43,1 (第十期魚田部長)

警告、どんな記録、資料にも必ず、年号(元号、西暦併記を望む)を記入のこと。

この中に、第一期、第二期、第三期のものが含まれていないのが、誠に残念である。
理由は、私のものは全て部室に整理、保管したはずだから。それにしても、部室をよく変わりましたナー。伊伝居から書写へ。当時の資料お持ちの方は、お教え下さい。

提言1 白鷺は、多額の費用を費やし、全員に印刷して配布することも必要ないのではないか?
その時の現役諸君が1冊づつ持ち、部室と大学図書館にストックすればどうだろう?
ホームページでながそうヨ。
提言2 今までの20世紀の「資料」を、スキャナーにて残すには、いかほどの費用がかかりますか?
労力は?よい方法は?メールにてご指導を。
提言3 検索は、行き先場所と年月日と参加者氏名で、後日に役立つでしょう?
提言4 白鷺の「部としての部室での」欠番は、ないでしょうネ?
立派な厚表紙で大学図書館に寄付すべく、現役の諸君でご検討下さい。

ついでに、姫路工業大学新聞を、下記の連番で保管していますのでお役に立てば…。

5859合併号(34,5,18)、60号、61号、62号、63号、号外(35,1,23)6465合併号、号外(35,6,15)、66号、67号、68号、69号、7071合併号、72号、73号、ナシ74なし、75号、76号(38,2,1)。昭和34年4月から38年2月までのもの。これら以外に、園遊会や文化祭の、また自治会報、また汗と涙で全員が頑張った姫路市のキャンプの資料も落書きまみれで、残されてあります。懐かしい物ばかりです。

これらのガラクタを元に、私の四年間(昭和34年春皇太子ご成婚から38年春水俣病は公害判明)のワンゲル生活を振り返りました。ご笑覧下さい.。お招きあれば、ちょうし一本ぶら下げて、回顧談に参上します。友在ります。遠方より参ります。待ってます。

昭和34年

4月
  • 部創立者岡村先輩がお一人で、合格者情報にて同好会会員勧誘。ツラレル。
    提言5、今後会員名簿には、出身県名と出身高校名を記入すべし。
  • ワンダーフォウゲル同好会創立。入会。
    独語のウ・ウムラウトに新しい異国を感じ、辞書をこねくり回す。
    (大学正門前の岡村先輩下宿が部室。新入生中原ら通う)
  • 増位山、広峰山、氷室池ワンデリング。(新人トレイニング)
  • 書写山ワンデリング。
5月
  • 工大短大合同開学記念園遊会。
    初日 式典、講演、記録映画。
    2日目 姫山公園。ゲーム、レクレーション。
8月
  • 夏季合宿  淡路島一周ワンデリング。(7日間、八名参加)
    後々の語り草になる、「先輩私をほっといて行って下さい.」
    慶野の松原の浜の夜光虫も、いまはおらぬとか。悲しい。
個人的に、電気の友と南国土佐のはりまや橋をよさこい節探訪。(3名、7日間)
秋季 増位山、広峰山に「道標」設置活動。目立たないが、役立つ活動を.
11月
  • 兵庫県青少年野外活動指導者講習会に2名派遣。(東、中原)4日間。
    県教育委員会、県ユースホステル協会共催、嬉野公民研修所にて
  • 19日付工大新聞第61号に、トップ記事「十周年を迎えた本学」
12月
  • 22日福島政治第3代学長、短大教授会席上倒れ、ご逝去。

昭和35年

1月
  • 28日 関 皓之第4代学長選出。
2月
  • 1日生活共同組合(食堂部、購買部、理髪部)機関紙創刊号出る。
  • 27,28日雪彦山ワンデリング(岡村先輩による最後のご指導)
4月 世話役に、下宿生の中原就任。目標'一日も早く、部に昇格を'
知名度アップ作戦として、売名行動にはげむ。一般学生に、学外に。
文科系か体育系か?(あこがれは、南極西堀越冬隊。なんでもありで!)
集会所(部室)の確保に、全知全能
新館工事に併行して、解体寸前の学舎の隙間を、転々とした。
学生部と親しく。確保できナベカマの装備保管充実へ、転々で資料散逸残念。
  • 新入生歓迎ワンデリング(隋願寺、広峰神社、氷室池、24名)
  • 23日 第二回園遊会 姫山公園
5月
  • テクニカルワンデリング(富士製鉄広畑見学、一般学生共27名)
  • 六甲山ワンデリング(一般学生2名も参加、 名 )
6月
  • 3,4日 開学以来初のデモ行進。工大伊伝居、野里街道、二階町筋、御幸通、
    50米道路、大手前公園解散。学生の5割強が参加と工大新聞。
    60年安保問題、全国、連日テレビは騒然。アルバイト先父兄のご叱責を回顧。
    15日付工大新聞号外。「本日午後授業辞退・デモ」新安保反対打ち出す。
  • 姫路四大学合同ワンデリング(増位山、広峰山、氷室池。51名)
  • 食堂にポスター掲示。「君はどこへ行く?」北海道旅行スライドと説明会。
    一般学生対象。東京大ポスターは「とめてくれるな、オッカサン」
  • 工大新聞第66号。35年度予算成立、執行部に大幅増額。
    内容を見ると、総額90万円、最大は執行部の12万。ここもクラブ?
    運動部11部、文化部 9部。ワンゲルここへ潜り込もう!!と。
7月
  • 雪彦山、峰山ワンデリング(17名)
  • 北海道ワンデリング。(吉田、東、浅野 3名)
8月
  • 夏季合宿 兵庫県縦断ワンデリング。(10名、交通機関バス利用)
    京都網野、兵庫香住、兎和野ヶ原、氷ノ山、鉢伏山、戸倉峠
    ガスの中、ループワンデリングで、左右逆の沢をおりる。リーダー無能。
    失敗した分、土地の里人のこまやかなる人情を知る。
10月
  • 六甲探勝ワンデリング。(一般学生2名含み15名)
  • 30日 県立四大学体育大会合同ワンデリング(商大当番)
    塩屋、須磨アルプス、摩耶山、六甲山、宝塚 
    商大26名、農大21名、工大17名。
11月
  • 鷲羽山ワンデリング。(             )
12月
  • 冬の旅相談室。〈一般学生対象、当時 街角旅行社は、ホトンドナシ〉

昭和36年

1月
  • ニュイヤーワンデリング。 書写山、
  • 9日 自治会報第1号に、堂々と、同好会ながら活動報告を発表。
  • 神鍋山スキー講習会、企画だおれ。
2月
  • 22,23日 岡村先輩 追い出しワンデリング。
    雪彦山ユースホステル、13名。このとき 16ミリ映写機を担いで行き、
    子どもたちに映画会。子供大人20名ほど。県ライブラリーフィルム。
4月 新リーダー、吉田君就任。目標:部昇格を確実に!!
  • 24から28日 春季合宿。(31名、学生ホール泊)
  • 29,30日 新入生歓迎ワンデリング。(雪彦山、29名)
5月
  • 5から7日 小豆島ワンデリング。(7名)
  • 14日 工大、短大合同ワンデリング。(工大30名、短大20名)
    姫路市香寺町、七種の滝
  • 28日 一般学生参加によるサイクリング大会開催。
    (赤穂市 赤穂御崎、総勢31名)
6月
  • 7日 定期学生大会にて、議題第5 部昇格(ESS部共)の件。
    総会会場内工作、役割分担 効を奏し承認される。
    早速、岡村先輩の許へ、電報。「ブニナッタワンゲル」。
  • 峰山ワンデリング。次代を背負う一、二年「部員」だけで、18名。
    次なる、大いなる彼らの目標を目指して、やる気満万。頼もし!
8月
  • 夏季合宿大峰山縦走ワンデリング。(25名。岡村先輩 洞川まで)
    奈良洞川、?…・・????
  • 引き続き  大台ケ原ワンデリング。(10名)
    ???????????????
10月
  • 11から16日 名峰大山縦走ワンデリング。
    (一班5泊6名、二班4泊5名、三班3泊16名 総勢27名)

昭和37年

2月
  • 雪彦山ワンデリング。(岡村先輩をお招きして)
3月 新部長に 坂村君就任。
  • 6から11日 早春合宿。 南九州ワンデリング。 21名。
    途中二班に、日南海岸、霧島国立公園。
4月
  • 25日から
5月
  • 2日  春季合宿。学生ホール泊。テント実習。  
    6時起床、6時20分より8時まで早朝トレーニング(男山,平野へ)。
    17時から19時までトレーニング(広峰へ)。
    厳しいトレーニングに、よくぞ先輩に産まれけり.。ニコニコ。
    引き続き、雪彦山、峰山ワンデリング。
6月
  • 8から12日 第二回工大祭。
    前夜祭実行委員に東野君ら。ワンゲル部ファイヤーストーム担当。
    文化祭実行委員に平見君ら。「姫路近郊のハイキングコース」発表。
    駅伝大会に、ワンゲル部出場。?位。中原全コース伴走、ツカレタ
  • 9、16、23、24日から
7月
  • 1、7日まで 合計6回、桑田教授指導による市教育委員会等主催
    野外活動指導者(カウンセラー養成)講習会 (26名参加)
    (姫路市豊富町太尾 公民館において)
  • 15日から
8月
  • 20日まで 姫路キャンプセンターにて、カウンセラーとして活躍。
    この間の利用者、実に、2679名。参加料一人350円から400円。
    (小学生1104名、中学生1241名、高校生73名、勤労青年261名)
    カウンセラー報酬は一日200円なにがし。各自アダナで。高価な思い出。
  • この頃、卒業研究のチーフ和田君より、研究への強い決意表明と夏季合宿
    道後山上での、再会を約束する書信受け取る。全身ピリリ!大緊張。
    我々二人は、四年生ではありますが、ついつい「お山」が大好きで…。
  • 夏季合宿 比婆、道後、帝釈国定公園道後山集結ワンデリング。
    私は、岡山玉野市三井造船で、工場実習を済ませ、国鉄芸備線で油木駅下車。
    拾って頂いて、合流。ヒバゴンには会わず。まだ無名の彼。
10月24日 キューバ危機。時間遅れの夕刊を待ち焦がれ、連日の安寧を寿ぐ。
最悪パターンになってる時は、新聞など届かず核戦争下なるを知らず。
下宿の救命主インスタントラーメンに、玉子一つ落し込んで、快哉を叫ぶ。
11月17日
  • 姫路キャンプカウンセラー反省会に出席。(手柄山青年の家)
    予算増大、安全と衛生の確保優先、予算増大とラッパ吹く。

昭和38年

2月
  • OB会とて、岡村先輩と雪彦山ワンデリング、その後書写新学舎を見学。
  • 1日付工大新聞第6号
    38年度各クラブの予算請求額が、記載あり。執行部などという部はもうない。
    37年度実績は、文化部10部、運動部14部。総額約75万円。
    (うちワンゲルは、30290円。7番目の高額。最高は新聞部6万。自動車部6万強。)

    そのワンゲルが、38年度は162450円要求。
    総額で、実績の3倍の245万円。執行部は渋い顔と記事にあり。
    (ワンゲルの顔も、デカクなったものだ。)
3月 老兵は、午前中に卒業証書を受け取り、午後から卒研の続きを務める。
その日のうちに、感謝して、消え去るのみ。


" 白鷺の血は赤い        白鷺の血は熱い   とこしえに
" 白鷺の目指す、広野は広し   白鷺の目指す、広野はうるわし。
" 白鷺の翼は、未だよわし    白鷺の翼に、つとめは重し   励めよヤ
                     

(2000,3,15 淡路花博を前に)


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