無量庵 下見会 (2001・12・8)
 

 
12/8
 
ある日、パソコンにメールが届いていた。

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ども、仁木です。
ほんと、いい天気が続いてますね。
こんな天気が続くと、働いているのが馬鹿らしくなります。
それはともかく、どこかに出かけたくなるのは確かです。
そこで、12/8(土)に松近と無量庵の下見に行くことにしました。
雪が降る前に、ということです。
「これだけは、確認しといてくれ!」というようなことがあったら、
言っといてください。
水野も忙しいと思うけど、時間があれば一緒にどうですか?

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てなわけで、無量庵に行くことになったのだった。
 


 無量庵

前回の下見会で発見した「無量庵」は、現・福崎在住の竹村さんという方の旧宅である。
松近君の撮った写真が少ないので、あまり参考にならないかもしれないが、
ご覧のように、電気は通っており、中にはこたつがある。
水道は無いが、すぐそばをせせらぎが流れており(市川の源流)、支障はない。
下の写真の左端にある煙突は五右衛門風呂のもの。
登山客の中にはたまに「ゆっくり浸かってきました」という豪の者もいるそうである。

 
 
外から見た無量庵


奥の間。格調の高い間取りである。


こたつ。卓上には生野町黒川地区の歩みを記した冊子がおいてあった。

生野町黒川地区は6つの村落(本村、簾野、大外、高路、長野、梅ヶ畑)で構成され、
全部で数十世帯の小規模な村だが、もともとは平安時代の「木地師」に由来する
由緒ある荘園、「黒川荘」で、どの家にも家紋が残っているという、古村である。
古くから播磨と丹波、但馬方面を結ぶ往来沿いにあり、山深い土地柄ゆえか、
中世には盗賊が横行したり、血なまぐさい話も伝えられている。
産業は林業が主体で、江戸時代には生野銀山との関係も深く、炭作りなども盛んであったという。
近・現代、特に戦後は、高度成長期の人口流出に加えて農・林業の不振、生野銀山の閉鉱なども伴い、
人口は減少の一途を辿り、昭和50年代には村の教育を支えた小・中学校も閉校となった。
このように典型的な過疎の村であるが、平成に入ってから温泉が掘られ、観光資源にもなっている。
一帯は標高こそ低いが、深山の趣を伺わせるに足る山並みが続き、 ワンデリングには事欠かない。

*木地師・・・平安朝・文徳天皇の子で、皇位継承に敗れた惟喬親王の一族郎党に源流を発するとされている。
「全国の山の八合目以上の木はいくら伐採しても構わない」というお墨付きを与えられ、
林業・木製品作りなどを生業とした職能集団。滋賀県東部、岐阜県西部の奥美濃に多い。


三国岳登山

またもや来てしまった。三国岳。
当初、私は雨が降ろうとみぞれ交じりであろうと登るつもりでカッパを用意していたのだが、
松近君に笑われてしまった。「このくそ寒いのに登らせる気か!」 そりゃそうだ。
登りはじめて5分で来たことを後悔した。
アップダウンに次ぐアップダウン。「練成向けのコースやな」などと口では言っているが、
満タンのキスリングを背負ってこの隘路を登る気はさらさら無い。
現役はこんなところを行くことになるのかと、まだ決まってもいないのに可哀想になってきた。
なにせ山が深く、道というより踏み跡しかない。
しかし、前回と違って、マーキングのテープが丁寧につけられていたので、
今回は全く迷うことなく三国岳まで行くことが出来た。
行程中は動いているので暖かい(むしろ暑いくらい)のだが、休憩すると
さすがに12月なので寒い。それでも風が無く、穏やかな日和だったので
楽しい山行となった。

山頂に着くと、視界が急に開ける。
冬の空気は澄んでいる。六甲の山々までもが遥かに見渡せる。
早速、お湯を沸かしてエースコックのワンタン麺を食べた。
ホントはかさばるので、棒ラーメンを買うつもりが、行きしのコンビニに棒ラーメンが無かったのだ。
あんな人気商品(一部で)が・・・なぜ・・・。
しかし、山では暖かいものがいいね。前の下見会のときは、上のOBさん方に分けてもらったりして
恥ずかしい思いをしたが、今回は、さすがにそれぞれ個装をいろいろ持ちよってくれていて、
よかったよかった。

帰りは三国峠から長野方面に下る。休みなく一気に歩いて1時間、無量庵にたどりついた。
林道の道すがら、私は無量庵を起点として次なるルートをどう開拓していこうかと思いをめぐらせていた。
次は北へ向い、粟賀山を目指し、さらに遠阪峠に出て但馬・丹後の国境を・・・日本海まで。
もう一つのルートは黒川温泉から青倉山・朝来山を越えて円山川を徒渉し、佐嚢高原から都留ヶ峰を目指すか、
あるいは段ヶ峰を直接狙う。さらに明延鉱山の裏を回って藤無山から氷ノ山を目指せば、
奥播磨から播但国境の山々をつなぐルートが完成する。
こんな話を仁木(妹尾)君にすると、「粟賀山ぐらいでやめておけ」と言われる。
「だいたい何日かかると思ってるんだ。あほか!」兵庫全山縦走の夢は潰えた・・・。

帰りは黒川温泉に浸かって風呂上がりに山本さんが持ってきてくれたお酒を飲んだ。
運転中だったので、運転手の妹尾君は飲めずじまいでした・・・すみませんね。
 


<あまりパッとしない面々>左から水野、妹尾、山本さん(わいらの一こ上)と、ごぞんじ松近。
 


右は山本さんの奥さん(旧姓・野村さん)
 


氷上盆地をのぞむ。
 


 
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