しらさぎ達の足跡 ―過去の部誌から―

第15期 昭和48年度

(前略)
夕食前のひと時。何故か蝿が多い。夕食がよくはいるように、ちょっと運動を
ということで、Yの提案で、蝿との戦いが始まった。いわば地対空砲対飛行機の
戦いである。こちらの武器は輪ゴム。さすが一日の長があって、Yの撃墜率が
最も大きい。しかしあの撃墜したときの快感は何であろうか。サド的要素が働いて
いるのか、なかなか当らないだけに当ってストンと落ちてきたときの気分は、
スカッと爽やかなのである。

腕前があがり、何十匹といた蝿も残りわずか。これでは標的が少なく面白くない
ということで、しばらく窓を開け、獲物をふやすことにした。何も知らない馬鹿な蝿は、
部屋の中に入ってくる。大部ふえたところで、窓を閉めて戦闘開始。この命中率。
落ちるわ、落ちるわ。

前よりはずっと短い時間で、蝿の数は再び数匹を残すのみとなった。どことなしに、
蝿の顔が恐れをなした表情にみえる。そして止まったまま動こうとせず、命ごいを
している様だ。この殺蝿ゲームにも、いささか飽きてきだしたので生き残った蝿は、
助けてやることにする。結果、やはり撃墜王はYであった。彼は家でいつもこんなことを
しているのではあるまいか。

六畳ぐらいの部屋で、窓を閉めきり、天井目掛けて輪ゴムを飛ばして興じている。
三人の男の姿を想像して笑うなかれ。君もあなたも、次の夏には試みるがよい。
シュッコロなどより、ずっと運動にもなるし、君のサド的要素をきっと満たして
くれるだろう。(後略)

――畳に墜ちためちゃめちゃ多くの蝿の始末は? きっとマゾ的要素が…


厳しい冬も去り、麗らかな春の日差しも見えるが、まだ肌寒い春風が身に
応える頃、Y氏より、
「オイ、話は変わるが山へ行かへんか? 近頃、運動不足で!」と言う声が掛った。

   「どこの山へ、何時頃?」
   「まだ未定だが、考えているのは“段ヶ峰”だ!」

私は始めて聞く山の名で、Y氏より、地図上で説明を聞いた。結局一週間の計画期間を
取り、“段ヶ峰”に決定。日程も四月三・四日の短いものである。(この時、Y氏は
多忙で余り日程が取れない。)

             *    *

四月三日(曇り)
九時に駅へ集まる約束をして、待っていてもY氏は来ない。私は、例の赤シャツを着て、
人込みの中にいるのが恥ずかしく、Y氏に立腹していると、K氏先輩がテントを持って
来てくれた。(これは、K氏が旅行中に使用して返却していなかった為K氏から
差し入れがあるかなァー?と期待はしていなかったが、週刊誌一冊。ダンケ!)Y氏が
来たのは九時を三〇分程オーバーしていた。

   「何をしていたんですか?」
   「悪い、悪い。チョット寝とったんや!」
   (Y氏は、この悪い癖の為、何度か失敗を繰り返している。)

コーヒーを飲み、十時頃の電車で「生野」へ向った。車中は大変混雑していて、ザックを
入れるのも気が咎めたものである。「生野」へ到着したのは昼前で、昼飯を食う時間で
あるが、持っていったサンドウィッチを食べる所がなく、結局そのまま出発。ロード
だったが車は少なかったので助かった。地図と現地点とがあまりハッキリしないまま、
前進する。途中、車に「乗してやろうか?」という人もいなく、全く薄情なものだ。
前方に女子高生が見えた。

   「オイ、Oクン! 彼女に道を聞けや?」
   「イヤー、それは先輩の役目です。」
   「イヤ、イヤ。やっぱりお前の役やろ。何時ものように。」

冗談を言っていると、目の前に彼女は来ていた。Y氏と私は三メートル程度離れていた為、
私は素通りしたので、後を振り向くと、Y氏が尋ねていた。

   「“倉谷山”までこの道を行けばいいのですね。」
   「ハイ!でも今からでは無理ですよ。」(驚ろいていた様子。)
   「それは分っています。どうもありがとう」

この時のY氏の嬉しそうな顔。あの様なのが趣味かな?
それ以後、我等はできる限り近くまで行こうという事となり、無心に歩いていたが、腹が
へって歩けず、途中の河原で例のサンドウィッチを食って即出発。(ウマイナー。
又持って来よう。)
少し前から、雨がポツポツと頬を濡らしはじめていた。

   「適当な場所があれば、サイトしようや。」
   「ウン。しかし、今少し奥へ入らないとないんでは。」

二人はこの様な会話を交しながら歩きつづけた。三〇分程歩いただろうか。前方に小屋
らしきものが見えるではないか。

   「無人小屋なら、決まりやな!」
   「ラッキー!! こんなことならテント等持って来るんやなかった。」

小屋の前にザックを置き、回りを偵察。残念な事に小屋は錠がしてあり、入る余地は
なかった。

   「この小屋の前にテントを張りましょうか?」
   「イヤ、さっき来た所で、少し入った所に小屋があったやろう。」
   「本当ですか?」(多少疑いの気持ちである。)
   「本当、本当。」

Y氏の言う通り、引き返えすと小屋は確かにあった。「茶屋滝荘」と名があり、どうも
無人らしく、辺りを偵察にかかった。幸運としかいいようがない。小屋の中は奇麗で、
便所もあり、近くには透き通った水が流れていたのである。

   「ここに決定やな!」

早速、ザックを中に入れ、タバコを吹かし、夕食の用意を始めた。晩飯は酢豚である。
(これは、春合宿に作り、大変気に入った為、今回持って来たのである。)飯を食う頃は
辺りはもう薄暗くなっていた。(酢豚は全然食えたものではなかった。コンビーフを使用
したせいだろう。)飯が終ってからは淋しいもの、何もする事がなく、寝るには早すぎるし。
しかし、二人の会話は話題には事欠かなかった。その為、午前〇時を過ぎ、一時近くに
なろうとしていた。

   「もう寝ましょうか?」(イヤラシイと思うのは考え過ぎ。)
   「ウン、明日は六時半に起床やな。」

これが今から考えると誤算だったのである。

             *    *

四月四日(晴れ)
今日は天気もよく、気分壮快で小屋を八時過ぎに出発。快調なペースで千町峠を目指し、
ここから“倉谷山”をピストンする予定であった。(言い忘れたが、現在、部室にある例の
ゴッツイポリタンはこの小屋でY氏が拾ったものである。これよりY氏のザックの中身が
想像できると思う。カルーイ、カルーイ、ザックだよ。)

途中、道が二本に別れていて、二人相談の結果、左の道が近道のようだという結論に至り、
そちらへ進む。これも誤算であったのだ。少し行くと道がなくなり、ブッシュの中に入って
しまった。行けども行けどもブッシュ。我等はそれでも前進した。ブッシュの中で写真を
撮ったり、ブツブツ言いながら、遂に千町峠三角点に打ちかったのである。

この気分は何度経験してもいいものだ。苦心すれば、するほど味わえるのである。
皆さんもブッシュを選びなさい・・・。それ以後、“倉谷山”をピストンにかかる。
(勿論飯は食ったよ。)
風が強くなり、頂上へ立った時は寒くて仕方無い。

   「あれが氷の山やな。」
   「どこ、どこ。フウーン!!」(氷の山にはまだ雪が残っている。)
   「オイ、大山が見えるぞ。」(Y氏は冗談の好きな人である。)
   「もう、下ろうか?」

我々は下りながら、“千町ヶ峰”へ登るか、登らないかを議論し、結局、このまま、川上まで
直行と決定。予定では“千町ヶ峰”にも登ることになっていたのだが…。川上には予相より早く、
一時間ばかりで着いてしまった。
「なーんや、こんなに早く川上まで下られるんやったら千町ヶ峰に登ったらよかった。」と
しきりに後悔する二人であった。

(追記)
倉谷山の頂上で会った人に聞いた話だが、五万一に書いてある段ヶ峰とは倉谷山のことで、
段ヶ峰とはまた別にあるもっと低い山のことだそうだ。

――わっははは。懐かしい思いで読ませていただきました。そういえばそんなこともあったよな…
ってこれ私が生まれた年の話なんです。20年後の我々も結構同じようなことしてました。
ワンゲルって永遠に不滅なんですね。


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